日本の皆様、お元気ですか。
私はフニン事務所のディアナ・ヤリです。
11月19日、20日に、遠い日本からヤマノのスタッフ山本さんとリマ支店のスタッフ ジョエル、そして通訳の佐藤さんがフニン市に来られました。
山本さん達とヤマノの自社栽培地を一緒に見たり、私がブログに紹介してきた色々な場所を回ってきましたので、今回はその報告をします。
11月19日に私はアレックスのバイクに相乗りをして、待ち合わせ場所のフニンの戦いの戦場だったチャカマルカ平原に行きました。
このチャカマルカ平原は、フニン市内に入る前にあるので待ち合わせ場所には最適です。
そして、山本さん達と合流し、広々としたチャカマルカ平原を歩き、戦場記念碑に向かいセルナンプと呼ばれる国家天然保護域局の同碑管理人ロハス氏と会い、同記念碑内に展示されているフニンの戦いにまつわる絵などの説明を受けました。

記念碑前にて。
シモン・ボリバルが率いるフニンの戦いでの解放軍には英国/アイランド/スペイン等も含む欧州勢およびカリブ海のキューバも含むラテン・アメリカ全域の諸国勢が参戦していたと説明を受けました。シモン・ボリバルがラテン・アメリカの解放者であったことも頷けました。
解放軍とスペイン王政軍が、チャカマルカ平原のどこで戦ったのかも案内書に紹介されていますので、日本の皆様がフニンに来られるときは、是非この記念碑もお訪ね下さい。
その後、私達は近くにあるチャウシリ牧畜共同組合の施設に見学にいきました。
同施設には沢山のアルパカが集めら毛を刈っている様子も見ることができました。

アルパカの毛刈り中?

よく似てますが自社栽培地ではないですよ。
また自家製バターやチーズも売っており、山本さん達は買っていました。
それから、フニン市に向かいラスリ公園にあるフニンの戦いの英雄の一人のラスリ大佐記念碑内に入り、壁に展示された絵や資料を見ました。

ラスリ大佐は劣勢だったフニンの戦いで反撃のチャンスを伺い、将軍からの撤退命令を「攻撃せよ」と隊に伝達。
スペイン王政軍から連合軍の逆転勝利へと導いた人です。
フニンの戦いはサーベルでの血なまぐさい肉弾戦でした。このため、ラスリ公園にはラスリ大佐像とサーベルの形をした記念碑が建てられています。
私達は、同記念碑のサーベルの部分に登りましたが、上に通じる階段部が狭いことや、山本さん達が息切れしていることから、それ以上は登りませんでした。
また、ボリバール広場とも呼ばれているアルマス広場にも案内しました。
すると、フニン市長が市会議員達と共に広場の前にある市役所を出てこられていました!!
私は、市長に日本から来た山本さん達を紹介しました!!
フニン市長にヤマノのマカを持っていただき、写真を撮ってもらいました。
詳しくはこちらで⇒よしはるのペルー滞在記
実は、現フニン市長は、以前は美術の先生をされていて私は教え子の一人なんです。 また市長より、11月27日に行われるフニン市設立65周年記念祭へ招待されました。
そして、市長は私に「頑張っているね」と声をかけてくれました。
その後フニン市のマトリス教会にも見学し、フニンの戦いでの英雄の一人マヌエル・イシドロ連隊長の像があるリベルタ広場にも案内しました!
その後に、コルドバ顧問と共に私達のマカの自社栽培畑を見学し、ホテルにお送りました。
しかし、山本さん達は高山病の影響と寒さであまり寝れなかったようです!!
それもそのはず、その日の夜の気温は約-8度に下がりました。
フニンに住んでいる私でも、この夜は寒かったです。
続く。
(YamamotoTameyuki)
アシスタント
日本の皆さんに栽培地やフニンの情報をリポートします!
マカ栽培担当
生まれも育ちもフニン県の、産業農業技師です。”世界一のマカ”を作り、日本の皆さんにお届けします!
(Córdoba)
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